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日本のスポーツ政策の貧困

日記
02 /27 2014
 ご覧になった方も多いと思うが、昨日のテレビ朝日「モーニング・バード」。「ソチ・オリンピックのメダリスト達が下村文科大臣を表敬訪問、国の支援強化を要請」というニュースを伝えていた。その中でも、金メダルを取った羽生選手の「東北6県で通年練習できるリンクが一つしかなく、練習時間が確保できない」という訴えには「そんな環境で、金メダルを?」と、心底驚かされた。

 羽生選手は震災で被災した仙台出身で、震災後、一時はスケートをやめるべきかどうか迷っていた、という特別な事情も良く報道されていたので、そんな逆境を乗り越えて頑張ってきたというだけでも偉いなあ、と思っていたのだが、その上に、そんな劣悪な練習環境の中で最高のメダルを獲得したということは、本当に信じられないほど素晴らしいと思う。改めて感心した次第だ。

 それにしても、これほど世界的に優れた選手が頑張っているのだから、もう少し国の方でもしっかりと支援してしかるべきだろうと思う。もちろん国の支援だけがすべてではないが、現状はあまりにもプアーすぎる。番組中でスポーツ評論家の玉木氏が「日本のスポーツ関連予算は英国の10分の一」といっていたので「本当なの?」と思って調べてみると、確かに文科省自身がこんなデータを公開している。

 資料4 スポーツ関係予算の状況について (PDF:218KB) - 文部科学省

 国際比較で絶対額が少ないというのも問題だが、このデータを見て気がつくもう一つの問題は、「生涯スポーツ」に対する政策予算の少なさだ。日本では、ヨーロッパなどスポーツ先進国では一般的な「スポーツは文化」という考え方になじみが薄かったせいか、これまでは学校教育としてのスポーツに重きがおかれ、一般社会人の「楽しみ」としてのスポーツ環境を整備するということが政策的になされて来なかった。

 最近は民間のフットサルコートも増えてきて若い人は楽しんでいるようだが、日本にフットサルが紹介され始めた頃、当時は子供のサッカー指導をしていたので、フットサルのレフェリー講習も受けたことがある。フットサルはフルコートのサッカーと異なり(広いコートを走り回らなくても済むので)、体力的に劣る子供や(競技者でない)一般社会人でも楽しめるスポーツだ。フットサルは狭いコートでの素早いパス回しがポイントで、プレーヤーの数も少ないのでボールがどんどん回ってきて、ゲームとしても楽しい。これが日本でもっと普及すればよいな、と思っていたが、当時は専用のコートもなく、本家ブラジルの充実したコート環境や一般社会人が仕事帰りにフットサルを楽しんでいる様子などを見るにつけ、うらやましく思ったものだ。

 スポーツは「教育」や「競争」や、ましてや「国威の発揚」のための手段などではなく、人間が「人生の楽しみの一つ」としてエンジョイしていくべきものだ。そのような「文化としての」スポーツ環境や人々の意識を育てていくことこそ、スポーツ関連政策の目的でなければならない。

 ブラジルのように、あるいはヨーロッパのように、一般社会人のための「スポーツ・クラブ」が地域にあって、仕事のあとはそういったスポーツ・クラブで汗を流し人生を謳歌する、ということが当たり前の社会。こんなことも、社会民主主義で目指していくべき、一つの社会モデルではないだろうか(とスポーツ好きの私は思う)。

フットサル

(2014-2-27 by 山猫軒)
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岐路

未分類
02 /17 2014
 公園の沈丁花が二度の大雪で埋もれ、甘い香りを解き放つのも「ちょっと待ってね」状態です。夜陰に漂う沈丁花の芳香は、ほっと心を潤し、浅き春から本格的春への序奏、自然の暦です。

沈丁花

 これもまた大雪で社会新報の到着が遅れ、私の担当分を配達へ轍をそろりそろり、慣れない雪道に滑らないよう、へっぴり腰です。車がこないからと歩き始めた途端、車が、歩道も路肩も水気を含んだ雪の塊、車を避け足を踏み入れるとずぶずぶ身動きままならず、焦って「おっとと」運転手の方も気遣い、じっと待ってくれます。
 雪国で連日、屋根に積もった雪下しや雪かきをされている方々のご苦労、日々の暮らしはいかばかりか体感、考えさせられます。

 それにしても昨今の局地的集中豪雨多発や竜巻などと今回の豪雪、異常な気候変動の要因は、地球温暖化の影響でしょうか。専門家ではないので拙速に言えないのですが、温暖化の要因、二酸化炭素の増加、化石燃料の使用をいかに減らすか課題です。そこを狙っての原発再稼働を口実にさせない、原発ゼロと地球温暖化防止の取組みは同時並行を視野に進めていくべきでしょう。自分の住む街から再生可能・自然エネルギーの自給率を高め、地産地消を更に積極的に広め、安全、安心の暮らしを創りだしたいものです。

 社会新報配布の帰り道、ふと見ると雪で濁った川、蛇行した緩い流れに佇む“こさぎ”が一羽。餌にありつけたのでしょうか。
 豪雪で混乱した日本列島、波紋は様々な課題を残したままです。
   
(2014-2-17 by 湘南のおてもやん 木村えい子)

安倍「反米?」政権の行方

日記
02 /10 2014
 先日の記事で「安倍政権は米国内でも危険視されている」と書いたが、昨日の東京新聞でもそれを象徴するようなニュースが報じられていた。「(首相が昨年、NHK経営委員会に任命した)作家である百田氏の東京裁判に関する演説に対し、米大使館が批判」というもの。米国側がこれほど「神経質?」に反応するのも、やはり安倍政権の「反米」的な部分に対する警戒感が強いということなのだろうか。

 少し前、2月5日の東京新聞では、この問題について日本総研理事長の寺島実郎氏へのインタビュー記事を掲載していた。寺島氏は「安倍政権の外交姿勢は『反米』を内在した『貢米』外交だ」という。一見、矛盾しているが、事実としてうなずける。「反米」の部分は例えば「靖国参拝」であり、「貢米」の部分は例えばTPP交渉における大幅な譲歩や、辺野古の新基地建設推進だろう。

 靖国参拝については、米国は以前から危険視していて、昨年10月にはヘーゲル国防相とケリー国務長官が「わざわざ」千鳥が淵戦没者墓苑を訪れて献花し、「ここが日本の『アーリントン』だ」と明言さえしている。

http://www.afpbb.com/articles/-/3000736

 これほど明確に首相に「靖国参拝は控えろ」というメッセージを送っていたのに、それを無視されたのだから、米国が「失望した」というのも不思議ではない。実際、この参拝のおかげで直後に予定されていた日米国防省会議がキャンセルされたという報道もあった。

 米国が靖国を絶対に認めないのは、戦後史を少し勉強した人には常識だろうが、当然のことであって、自身が「戦勝国・正義の側」として東京裁判で裁いたA級戦犯が合祀されている靖国を認めたら、米国自身の先の戦争における正義を否定し、米国が主導してきた戦後秩序を否定することになってしまうからだ。

 識者によっては「最近の日米関係は民主党政権時代よりも悪化している」という人もいる。確かに、最近見られるような日米の齟齬が広がっていくと、それがやがて決定的な対立に発展していく可能性もあるのかもしれない。

 こういうことは、なかなか予測のつかない難しいことではあるが、日米関係を見る一つのポイントとして、注視していく必要があることだと思う。

(2014-2-10 by 山猫軒)

日本は世界の孤児になるのか?

日記
02 /05 2014
 間近に迫ったソチ冬季オリンピックだが、ロシアの人権問題に抗議して各国の首脳の開会式欠席の意向表明が続出する中、安倍首相は出席の予定。「人権問題で日本の国際イメージ低下は避けられない」と2月4日の東京新聞「こちら特報部」は伝えている。

 これに限らず、先の「靖国参拝」では「同盟国」アメリカからさえも公式に「失望」を表明されるなど、安倍政権に対する国外からの目は厳しい。東京新聞の同記事によれば「米国議会の報告書には『強硬な国家主義者』、『米国の利害を損なう恐れがある』などと書かれている」という。安倍政権が米国内でさえ、そこまで危険視されているというのは多くの人にとっては意外かもしれない。

 現政権では特にそれが目立ってきたとはいえ、このような日本の「国際人権基準とのずれ」は安倍政権に始まったことではない。「女性差別撤廃条約」や「こどもの権利条約」をはじめとする多くの国連人権条約を日本は批准しているが、それらの条約が要求している国内の人権侵害状況の改善を促す国連人権諸機関からの「勧告」については、長年にわたって実際上「無視」を決め込んできた。昨年の6月には、「国際条約機関からの勧告には法的拘束力がなく、履行義務はない」との閣議決定まで行った。これは条約と勧告の本質を全く理解していない、本末転倒の議論としか言いようがない。

 国際条約の法的拘束力に関していえば、憲法(98条)で「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」とあるのを見れば、国際条約にも国内法に比するべき一定の拘束力があると考えるべきだろう。先に「婚外子差別」に関して最高裁が「違憲」との判断を下したのも、「こどもの権利条約」などの法的拘束力を認めた上での判決であろう。国際条約はこのように「法的拘束力」を持つものであって、国際条約機関からの「勧告」はその拘束力を発揮させるための手段なのだ。

 しかしながら、日本政府は国連機関が何度勧告しても、具体的な改善行動を取ることはこれまでに全くなく、「全く改善する気がない」「やる気がない」と国際的に見られてしまっている。すでに2008年10月16日の国連人権高等弁務官事務所ニュースで、「以前からの総括所見にほとんんど効果がなく、委員が同じ勧告を繰り返し出さざるを得ない事態が続いているのは極めて残念である」という強い非難が出されている(出典:週刊「金曜日」1月24日号)。

 このような状況が続くなら、日本は人権問題における「世界の孤児」になってしまうのではないか?と危惧せざるを得ない。昨年、日本は国連社会権規約委員会などから、70項目にもおよぶ人権状況の改善勧告を受けている。先月の25日には、このような状況に危機感を抱く国内人権諸団体により「国連・人権勧告の実現を!1・25集会」が東京・代々木公園で開かれ、約600名が「政府は国連人権勧告を放置するな!」と声をあげた。

 国際的にみればこのように嘆かわしい状態なのだが、この問題が日本国内でなかなか一般に注目されないのは何故なのか。ひとつには「新聞をはじめとするマスメディアがその状況を正しく伝えていない」からだろう。憲法前文に書かれているように、日本が「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と思うなら、この国際人権基準の問題は避けて通れない。世界第3の「経済大国」でありながら、国際的には「人権後進国」と見られている日本。その状況を変えていくために、メディアの果たすべき役割は大きい。またもちろんメディアだけでなく、我々個人個人も、この問題について考え、声を上げ続けていかなくてはならないのだと思う。

(2014-2-5 by 山猫軒)


<<管理者より>> 各党員とも忙しくてこのブログもしばらく更新できませんでしたが、山猫軒さんから久しぶりの投稿です。今後とも定期的に、幅広い視点で社民党神奈川の「仲間たち」からの声を発信していきたいと思っております。よろしくお願いします。
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