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津久井やまゆり園事件について

日記
08 /15 2016
7月26日、相模原の施設に入所していた19人の命が奪われ、26人が重軽傷を負う事件があった。恐怖と痛みと無念の中で絶命した被害者の人たちを思うと、言葉が見つからず書くこともできなかった。しかしその無念に応えるためにも、恐怖と痛みを感じながら言葉を発して書かなければならない。今なお身体に負った怪我と心に負った傷に苦しみ続けている人がいる。大切な家族や友人を突然失って、苦しみと悲しみに突き落とされている人がいる。事件で直接被害に遭わなかったけれども自分自身のことのように苦しんでいる人がいる。被害者の人に直接会って言葉をかけることができない私たちになにができるだろうか。

この事件は障がい者とされる人に対する差別意識を一つの動機とする虐殺テロである。まず、相手を共感することなく差別意識を増幅させていった考え方そのものが間違っている。そしてとんでもなく誤った考え方のもとで19人を殺した犯人に対して、腹の底から怒り、その考え方を全否定する。殺されていい命なんてない、生きていてくれればそれでいいと思う家族や友人の思いを、犯人は残された命の期間すべてを費やして受けとめなければならない。

虐殺テロは社会の状況を映している。1939年ヒトラー率いるドイツでは障がい者や重病者、政権から「不必要」とされた人が7万~20万人虐殺されたT4作戦が実行された。医師や看護師も虐殺に加わった。個人の命よりも全体を優先する思想は、戦争に向かう国家の中で生まれていった。私たちの暮らす日本社会は、そこまで行ってしまったのだろうか。そうではないと思いたい。

人間が人間であるのは、相手と言葉を交わして共感することができるからである。人の命を共感できず、「国のため」ともっともらしい理由で殺人を正当化していくのは人間ではない。人間性を失った社会が再びしのびよってきている。国民主権、人権の尊重、平和主義をうたった憲法がないがしろにされる今の政治状況と社会の変化は無縁ではない。私たちは障がいがあろうがなかろうが、命が大切にされる社会にしていかなくてはならない。それはただ黙っていれば享受できるものではなく、私たちの不断の努力によってのみ達成できる。命を奪われ声を出すことができなくなった人に報いるためにも、私は街頭で、あらゆる場所で声を出し続けていく。

(2016.8.15 森 英夫)